2007年12月1日土曜日

※長いよ。

取手に行ってきた。ファッションショウ+ワークショップに参加するために。ショウ、とってもよかった。ほんとに現場にいられてよかった。

ワークショップは、作品を交換するっていう主旨だったので、祖母からもらったボタンの瓶詰めを持っていった。最近、修論を書きながら、どうしても零れ落ちてしまうものがある、と感じることが多くて、家に帰ってから、それらをかき集めて、何かよくわからないけど衝動的にオブジェみたいなものを作っていて。瓶詰めはそのうちの一つ。人に現物をちゃんと見せたのは、これが初めてで、すごく怖かった。でも、案外反応がよくて、後から、「ほんとは欲しかった」と言ってくれた人もいて、すごくうれしかった。そうか、自分も作っていいのか、と。「作品」とは、「コミュニケーション」とは、偉大だなあと思った。

自分のファッション(身体空間)論の軸があるとしたら、理論と感覚の間に存在するのかもなあ。

アーティストのみなさんと色々お話できて、一緒にごはんを食べて、すごく幸せだった。ファッションショーもワークショップもすばらしかったです。忘れられない一日になりました。ありがとうございました。


研究者っていうのは、言葉で勝負する人で、だからこそ、いわゆるアーティストの活動、生まれてくるモノたちが、そこに存在したという事実を、を広く色々な人に伝えていく役割を担っていると思うのだ。けど、こと現代美術の中の、服飾をモチーフとした作品について、場の空気も含めた身体空間(の存在)を言葉にできる人が、今の日本にはあまりにも少ないんじゃないか、と思う。特に若手は育っていない気がする。目線が上からなのがどうしても許せない。研究ってそんな高尚なもんじゃないでしょう。生み出されたモノがあってこそのものでしょう。

自分はずっと、作り手の信念も含めた「作品」と、社会(いわゆるフツーの人たち)を結び付けたくて、微微微力ながら活動してきたつもりだけれど、なんつーか全然足りないな、と。見ることもつくることの一つだから、それを伝えて、つくってるっていう意識のある人が増えたら、もっと世の中楽しくなるんじゃないか、と。

そんな偉そうなこと言いながら、企業に就職することを決めた私。ダイレクトに大好きな分野に関わる仕事ではないけれど、根本は合っているので、がんばります。養分たっぷりな土壌があるっていうのはいいことだよね。全力でぶつかって、それでも違うと思ったら、そのとき考えよう。


ツタヤまた延滞。今気付いたトホホ。

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