2008年2月10日日曜日

出会いと繋がり。<私>の輪郭について。

今日は一日仕事でした。休憩時間に携帯を見たら、「個展来たよ!」メールがいっぱい届いていて、今すぐ飛んでいきたい衝動に駆られる。でも、目の前で起こるお客さんと作品との出会いの瞬間も、非常にエキサイティングで。私にとっては限りなく現代的なアートプロジェクトなのです。うちの店。

昨日はお世話になっているベンチャー企業つながりの友達(右。左は私。)が来てくれました。フリーペーパーの次号にコラムが載ります。全国の大学院に配布されているので、よかったら手にとってみてください。















今は中学校の先生をしてる彼女と、そのお仲間と、教育の話など。中学時代、思いっきり反抗してた(ヤンキーじゃないけど)私ですが、この歳になると、先生も人間だもんな、、、などと、妙にしみじみするのです。そのときの担任の先生からは毎年年賀状をいただいています。今年はお返しで、ちょっと長い手紙を送りました。当時家庭がちょっとゴタゴタしていて、今思えば先生が私の反撃をマジメに捉えてくれていたからこそ、バランスを保っていられたんだなあと。それで、「反抗しまくってごめんなさい、ありがとうございました」とお手紙しました。
子どもの教育って、結果が出るのが10年先だったりする。奥が深いなあと思います。ストレスだって相当だろうし、不条理なこともたくさんあると思う。先生を仕事にしてる人は、本当にすごいなあ。色々お話を聞いて、勉強させていただきました。当時は納得できなかった偏差値へのこだわりも、選択範囲を広げるために苦言を呈してくれていたんだなあと。私が今中学生だったら、彼女の生徒になりたいです。間違いない。


色々な人が来てくれます。ノートのコメント、全部噛み締めて読んでます。ありがとう。


作品に関する話や、私自身の話をするよりも、相手のお話を聞かせてもらうことが多い。それでいいし、それがいいと思ってる。色んな話ができる空間を用意できたなら、それが一番うれしいことです。もちろん、聞かれたら何でもどんとこいだし、議論させていただけるんならいくらでも。でも、衣服って、衣服を見ているだけじゃ語れないから。「衣服でないもの」を明確にしていくことで、初めて立ち現れるものだと思うから。

「自分らしさ」って、本当は誰もが持っているもの。「ここではないどこか」にあるものではなくて、すぐそばに寄り添っているもの。けれども、近すぎて見えなくなっているもの。自分の顔は鏡を介さないと見ることができない。それと同じ。だから、人は自分以外の人と接することをやめないのだと思う。直接会ったり、その人の営みが凝縮されたもの(書物や、写真や、絵画や、ビジネスモデルや、その他作られたものたち)に触れようとする。
「他者」に反射する<私>を確認しないと「自己」が認識できない、ということから、自己と他者の境界は極めて曖昧なものであるといえる。<私>がどこまでか、ということはたぶん永遠に問い続けることなんだろうな。確実なのは、少なくともいまの社会に生きる人々は、どのような状況であれ、<私>の輪郭を必要としている、<私>の核を求めている、ということだ。批判されてるけど、デカルトさんも結構いいこと言ってると思うなあ。

最近、以前から読ませていただいていたあるblogの書き手さんに、メールを送りました。勇気出してよかった。肩肘はらずに、色々な人の考えに触れて、もらったものがあれば(何かしら必ずある)、お返しできることはお返ししたいなと思っています。微力ながら。
そんな感じで、コメントもメールも、どうぞお気軽に。このblogの右側にある「ホームページ」からウェブサイトyummy.comにリンク貼ってあります。そこの「mail」にフォームが用意してあります。
自分にとって、インターネットは情報伝達手段の一つ。それ自体がエンターテイメントでもあるけれど、一番の目的は有機的な関係性の構築。かな。

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