『カンバセイション・ピース』、じわりじわりと読んでいる。
主人公が考えを巡らせる一節で、「セミの鳴き声は昔からずっとここ(家)にあって、それは自分がいてもいなくても変わらないだろう」っていう内容のところがあって、ちょっとこっちも考えた。音はいつ成立するんだろう?聴いている<私>が、聴いた時点じゃないのかな?<音なるもの>は「音」と名付けられてはじめて「音」として存在するのだから、そこには<音なるもの>を「音」と定義する<私>の存在が不可欠で、つまり「音」よりも<私>の方が早く存在していることになる。これは、『カンバセイション~』と間逆。
けど、音のシャワーをくぐり抜ける<私>のイメージもわかる。
いま、<私>と打ったつもりが<笑い>になった。。結局そんなものなのかも。
以上メモでした。
保坂和志さんの経験論:ほぼ日から。(kクボ、掲載おめでとう!)

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